では第3例目にまいりましょう。当時、小6だったいおりちゃん(仮名)に次のような問題を出しました。単元は『速さ』です。庵子ちゃんがどんな風に間違いをしていたのか、ご覧下さい。
実際にあったエピソード その3
問題
「A君は70mを10秒で走ります。B子さんは75mを10秒で走ります。どちらが速いですか。」
いおりちゃんの反応
これは特に計算するまでもない計算のはずですね。なぜなら、“同じ時間をかけて遠くまで走れる人の方が速い”と
いう事は、これ以上に噛み砕いて説明のしようがないくらいの自明の理だからです。しかし、いおりちゃんは、まずこの段階で理解に苦しんでしまいます。つまり直感で答えが浮かばないのです。もしも、実際にその場でAくんと
Bくんの競走の様子を見物していれば、いおりちゃんにももちろん「速い・遅い」の区別はつくでしょう。しかし、文章で問題文を読んだだけでは、『数の概念への理解不足』が、顕在化します。いおりちゃんは「え?え?」と少し落ち着きなく、アヤフヤな答えを口にしたり引っ込めたりしていました。もちろん、算数は「論理的な道筋」を大切にする科目ですから、(たとえ参考書にかかれてあるかのように滑らかな口調でなくても構わないので)生徒が口にした回答の『根拠』を、担任講師が確認するのも大切な指導の一環です。私は、
いう事は、これ以上に噛み砕いて説明のしようがないくらいの自明の理だからです。しかし、いおりちゃんは、まずこの段階で理解に苦しんでしまいます。つまり直感で答えが浮かばないのです。もしも、実際にその場でAくんと
Bくんの競走の様子を見物していれば、いおりちゃんにももちろん「速い・遅い」の区別はつくでしょう。しかし、文章で問題文を読んだだけでは、『数の概念への理解不足』が、顕在化します。いおりちゃんは「え?え?」と少し落ち着きなく、アヤフヤな答えを口にしたり引っ込めたりしていました。もちろん、算数は「論理的な道筋」を大切にする科目ですから、(たとえ参考書にかかれてあるかのように滑らかな口調でなくても構わないので)生徒が口にした回答の『根拠』を、担任講師が確認するのも大切な指導の一環です。私は、
①「何故そう思うのか?」
②「その自分で書こうとした式は何を求めようとしたのか?」
③「その計算から出てきた答えの数は結局何を意味しているのか?」
などを順に聞いていく事にしました。しかし、どれも全て逆さまの答えだったり、ちぐはぐなものだったりと要領を得ない返事ばかりでした。それでは式の計算はというと、本当は『1秒あたりの速さ』を求めるために
“70÷10=7” という計算が必要なのですが、“10÷70=” … としかけて手が止まるなどの試行錯誤が続きます。何分間か後に、ようやく導かれた数字、「A君が7」 で 「B君が7.5」を私といおりちゃんとで
眺めながら、「結局どちらが速いのかな?」と講師が結論を促したところ、
______「Aくん。え?うん。そう。Aくん!」…でした。そして、
「数字の小さいほうが速いという間違った感覚」からなかなか抜け出せずに、私の説明を聞いても
自分の考えとぶつかって混乱し、まさに“五里霧中”といった感じです。なぜ、このような不理解、混乱が生じてしまうのでしょうか?憂慮すべきなのは、毎年塾に通う小学生のうち、何人かは必ずこんなやりとりが発生する生徒が存在するという事実です。
⇒⇒「具体例からわかること」に移ります。
“70÷10=7” という計算が必要なのですが、“10÷70=” … としかけて手が止まるなどの試行錯誤が続きます。何分間か後に、ようやく導かれた数字、「A君が7」 で 「B君が7.5」を私といおりちゃんとで
眺めながら、「結局どちらが速いのかな?」と講師が結論を促したところ、
______「Aくん。え?うん。そう。Aくん!」…でした。そして、
「数字の小さいほうが速いという間違った感覚」からなかなか抜け出せずに、私の説明を聞いても
自分の考えとぶつかって混乱し、まさに“五里霧中”といった感じです。なぜ、このような不理解、混乱が生じてしまうのでしょうか?憂慮すべきなのは、毎年塾に通う小学生のうち、何人かは必ずこんなやりとりが発生する生徒が存在するという事実です。
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